尾畠春夫

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日記

78歳のスーパーボランティアと奇跡の2歳児が巻き起こした熱狂を振り返る

2018年8月22日

あの感動から一週間たって・・・

ときどき、ネットのことと関係なくただただ
文章に落としてみたい衝動に駆られることがあります。

なんと、TV視聴率59%に達したという
誰もが知っている、心震えた話を書こうと思います。。

山口県周防大島町で行方不明になった2歳の
男の子、藤本理稀(よしき)ちゃん
68時間ぶりに無事発見、救出した
78歳ボランティア、尾畠春夫さんの話です。

あれから一週間がたち、救出時から続いた熱狂を
振り返ってみても本当に素晴らしい、何もかも良かったと
あらためてひしひしと感じております。

この話はTV、ネット、新聞、週刊誌など
ほとんどが絶賛、好意的に
あらゆるところで書きたてられています。

ところで私はリアルな企業内でもネットにおいても
「マーケッター」として活動しています。

人はどんなことに心を動かされるのか
といったことについてマーケッターは
常に関心を寄せています。

どうせなら、むしろ積極的に
その視点を交えて振り返ってみようと考えました。

今まで幾多の報道やネット上で私が確認した限り、
同様な視点で総括している情報が
見当たらなかったことがその理由のひとつです。

もうひとつ理由があり、
無事救出された一連のニュースについて
ちょうど心の通じ合う方と感想を言い合ってて、
お互い受け止め方、感じ方が同じだったのです。

ならば他にもたくさんいらっしゃるはずと
少し背中を押してもらった気がしたためです。
 

閉塞感を破ってくれたドラマ

このところ日本には、心が沈んでしまうニュースが
やたら多くなってきたように思います。

地球規模で温暖化の影響が出始め
何かがおかしくなっているせいなのか
異常気象により各地で被害が続いています。

そこに加えて、人為的な問題が多発。

自動車メーカに始まる不正検査問題などで
日本が世界に誇るべき製造業の
品質取り組みや信頼は大きく失墜しました。

日本はどうなってしまったのだろうと
人々は自信を失いつつありました。

また公正さ、透明さが存在意義の
原点であるはずのスポーツ界では
ラグビー、ボクシング、バスケットボールと
立て続けにあってはならない事件が発生。

自己中心的な一部の人間による支配と空気が
真面目に取り組む大多数のスポーツマンだけでなく
国民を欺いていたと言わざるを得ません。

こういったことが私たち日本人に
重い閉塞感としてのしかかっていたと思います。

最初に2歳児行方不明のニュースが流れたとき、
息が詰まるような重苦しさとともに
でもなんとか見つかって欲しいと
まだ生まれてたった2年しかたっていないのに
と、その時はかすかな希望と絶望が
入り混じった気持ちになりました。

その後、ご存じのように無事発見され
インタビューに答えた尾畠さんを見て
思わず涙ぐんでしまったのは私だけではないはずです。

私には、重苦しい閉塞感を打ち破って、
これどう言ったらいいでしょうか・・・
一陣の爽やかな風が吹き抜けたように感じられたのです。

それまでの理稀ちゃんのご家族や、関係者の心労は
察して余りあるものですが
無事発見によって疲れも吹き飛んだと想像します。

それは私たち一般の視聴者においても同様であり、
素直な感動と喜びに包まれました。

こちらの公共放送ならアーカイブとして
ずっと掲載されている可能性があるので引用します(↓)
NHKニュースです。


 

私たちは見たかったドラマを見た。

さて、この事案の事実だけを追うと、
理稀ちゃんが行方不明になってからTVでも
そのことが放映され、以降発見されるまでは
「見つかっていない」という報道があるのみでした。

急展開を見せたのは、ボランティアによる
発見、無事救出のニュースから
TVに尾畠春夫さんが登場してからでした。

そこからです、ドラマが始まったのが。

唐突でしたが、誰もが驚きと感情の高ぶりを
抱えたままニュースに魅入ったはずです。

ご本人は何とも思ってなくても
TVをはじめとするメディアが
こぞって盛り上げる役目を果たしました。

このボランティアは何者なのか?
どこでどうやって見つけ出せたのか?
警察が2日以上かけて見つけ出せなかったのを
たった30分で、どうして?
2才の幼児はどうやって生き延びたのか?
・・・

無事発見の時点を中心に、マスコミは
過去の出来事やリアルタイムに進行していることを
一斉に追いかけ始め、誰もがTVに釘付けになりました。

そこには近年、滅多に見ることのない
驚嘆すべき物語が潜んでいました。

同時にそこにまさしく、
人々が心の奥底でそうであって欲しいと願うような
ドラマが隠されていたと思うのです。

人の脳は見たいものしか見ないとよく言われます。

一連の報道を見て、こうあって欲しいという
潜在的な気持ちをリアルに代弁してくれた
現実のドラマに私たちは酔い知れたように思います。
 

どこがドラマだったのでしょうか。

かく言う私自身も心を震わせながら
報道番組を繰り返し見ました。

たった数時間で時の人となった尾畠春夫さん。
ご本人は有名になりたいという気持ちが
さらさら無いことも誰もが知ることができました。

TVに映る尾畠さんはごく自然体で
発見時の様子を涙ながらに語り、
強い思い、お母さんに直接手渡した行動など
淡々と答えている様子に
思わず胸と目頭が熱くなってきました。

そして思ったのです。
この人は正直にあるがままを
自分が正しいと信じていることを
一切飾らず話しているのだと。

尾畠さんの人となり、謙虚さ、
そしてこれまでのボランティア活動経歴が
明るみになるにつれ、どんどんと
その凄さに圧倒されました。

紛れもないスーパーボランティア
がどういうものか身をもって証明してくれました。

「権力」とは正反対にいる人です。
年金生活、自腹でボランティアを続けている人。

お風呂を勧められても断り、さっと
風のように去っていったという報道にも
敬意を込めた称賛の声が沸き起こりました。

お茶漬けの原点とされ、ご飯にお湯をかけて食べる
「湯漬け」は戦国武将などが食するシーンを
TVで何度もみかけたことがありましたが・・・

尾畠さんのご飯に「水」をかけて食べる映像も
出てきてこれにはびっくりです。
「水飯(すいはん)」は古来よりあったそうですが
現代に生きる私たちにとっては馴染みの薄いものです。

そこには自分自身で決めたルールとポリシーに
ひたむきに生きる姿がありました。

現代に生きる私たちが見失いがちなもの、
日本人が古くから重視してきた「品格」と呼ぶべきもの。

私はまるで孤高の武士のような印象を持ちました。

そこには

  • 純粋さ
  • 無心
  • 無欲
  • ひたむきな信念と行動力

人々が、自分には無理と思いつつも
心の奥で大切にしたいと思っていることを
目の当たりにしたようなものでした。

仮定になりますが幼児を発見したのが
もし
通りがかりのハイカーではどうだったでしょうか。
普通に警察だったらどうだったでしょうか。

もちろんどうであれ無事救出されたわけですから
ニュースにはなるはずです。

ただ、私たちは同じように興奮と歓喜の渦に
巻き込まれたでしょうか?

尾木ママのコメントでは、
同じ78歳ながらボクシング界で
にわかに有名になった人との対比で
まるでコインと表裏のようだとありました。

これには賛否両論あると思いますが
同じ時期にこういう比較も出てくるほどに
それぞれインパクトがあったということでしょう。

とにかく暗いニュースが続いていた中にあって
眩しいくらいの光明を感じた、と思ったのです。

この落差が極めて大きかったため、
私たちは必然的に積極的に
ストーリー性のあるドラマをそこに
見つけ出そうとしたように思います。
 

見つけるべき人が見つけ出した。

私は運命論者ではありませんが
今回のニュースではそうこじつけたくなる
ほどの要素をふんだんに感じました。

たった30分で発見できたというのも
ボランティアとしての地道な経験と知見に支えられたもので
単なる偶然ではないと多くの人が感じているとおりです。

冒頭で述べたことで、このニュースの感想を
私に話してくれた方は尾畠さんのことを
「神の使いだと思った」と。

私も似たように、仏の化身か上人様
と思ったほどでした。

ネットでは"生き神さま"
と称える声も散見されるほどです。

とにかくそれだけの働きをしてくれた
ことについて誰も否定できません。

実はもっと荒唐無稽な妄想をしておりました。

SF映画や小説の観過ぎではないの?
と言われても仕方ありません。

その点をあえて恐れずに言うなら・・・

2歳になったばかりの理稀ちゃんを
発見したのは76年後の自分自身だったのかもと。

「ぼく、ここ」
自分で自分を発見するように差し向けた、
そんな時空を超えたロマンがあってもいい。

こういった設定は、ファンタジー映画や小説で
よく見られるものですが、それは

無垢な心

が生命力のある2歳児と78歳のスーパーボランティア
二人に共通していると感じたからです。

78歳のボランティアは2歳児の気持ちにたって
物事を考えることができた。

二人を結びつける力、引き寄せあう力が
そこに働いていたように思われてなりません。
 

警察もあっぱれだったのが実はここ

どうしても尾畠さんの大活躍と
圧倒的な生き様に目が行ってしまうのですが
もちろん捜索には警察および家族・知人など
多くの関係者の努力があったことは否定できません。

ところで警察は、今回の話
「事件」とは言っておらず「事案」と説明しています。

当たり前ですね。
被害にあった人がいるわけではなく
結局は美談で終わった話です。

今回の事案で、警察の働きに対しても
いろいろな声があるようですがここでは触れません。

言えることは、警察というのは大組織なので
必ず「総括」を行っているということです。

警察として忸怩たる思いがあったかどうかは
別にして、結果オーライな事案でした。

誰かが責任を負う話ではありません。
ただ今回事案での反省があるとしたら
それが何かを共有して今後の活動にフィードバック
するのがやるべきことでしょう。

ただ、私には警察はよくやったと思えることが
ひとつあるのです。

山口県警柳井署は、15日に尾畠春夫さんへ
感謝状を送りました。

この感謝状。

単に送ったことだけではなく
救出からさほど時間をあけず
尾畠さんが帰る前にやったということ。

翌日とかその後ではなく当日
間髪をあけずスピード感をもって
民間人に感謝状を手渡したこと。

簡単なことのようですが組織が大きいと
こんなことですら容易ではありません。
会議をして、決めて、段取りをして・・・
となると数日はあっという間に過ぎてしまうものです。

ところが今回、瞬発的とも言えるほど迅速な行動でした。

ここに、決断力のあるリーダーの存在を
感じることができました。

どこにも人はいるのだなぁと
リーダーの胆力に感心したのです。
 

願わくば

尾畠さんへは県警の感謝状にとどまらず、
これまでの努力を合わせ考えると、国レベルで
感謝を捧げるべきではないかと思うくらいです。

その前に、大分県が功労者表彰するそうですが
これも至極当然ですね。

無事発見、救出しただけではなく、
私たちの心に人として何が大切なのか
そういった尊厳とともに
深い感動と勇気を与えてくれました。

若い世代へも強力なメッセージになったのではないでしょうか。
同時に中高年世代へも強力なメッセージとなったはずです。

自分たちの国は決して捨てたものではない
この国には知られていないだけで
「人」がまだまだいるのだということを
痛感させてくれました。

これから先もご自分の信念のまま
是非長く元気よく活動を続けて欲しい、
マスコミはその邪魔をしないようにと
と願うばかりです。

藤本理稀ちゃんは、図らずも2歳にして
奇跡的な体験をしました。

わがままな思いながらできれば・・・

この先、20歳くらいになったら
立派な若者として活躍する姿を
見てみたいものだと。。。

オーディエンスはひそかに期待しています。

私たちに見せてくれた素敵なドラマに
「続き」があることを是非示してください。

ドラマはまだ終わっていないのです。