ネットビジネス大百科

strategy 木坂健宣

インターネットがもたらすもの(1)~テクノロジーの歴史を紐解く

はじめに~"GAFA"で騒ぐのはなぜ?

木坂健宣さんの『ネットビジネス大百科2』一部ネタばれ
になりますが、「GAFA」の話から始まります。

私はこのセミナー動画を何度も観て、
木坂さんの洞察力にあらためて唸ったのですが
単にインターネットの現象を見てではなく、
本質を歴史という観点で見据えているからだと感じました。

折しも、GAFAに対して国内では公正取引委員会が
2019年3月から(まずはAmazon)調査を始めたところですが、
グローバル化された経済では国内で制約を課したところで
根本的解決策は見いだせないかもしれません。

公正取引委員会の最大の懸念は、国内企業
特に産業を牽引してきた大手企業がもろもろ
GAFAの下請けになることにあります。

GAFAは海外ではこれにM(Microsoft)を加えたり
N(Netflix)も加えて議論することが多いようですが
ここではシンプルにGAFAという言葉そのままで行きます。

ではなぜ『GAFAの下請けになる』のでしょうか?

そこにはネット社会が生み出した
二極化と独占がその根っこにあります。

しかも数名の頭の良い大学生が、数十万人を雇用する
産業を破壊するほどの作用がネットでは働きます。

インターネットは家族や友人や或いは未知の人とを
つなぐ極めて便利なツールですが、同時に
救いようのないほど差別や格差を生んでいます。

なぜ、インターネットはそうなのでしょうか?
インターネットとは何者なのでしょうか?

私たちのネットビジネスはインターネットの中に存在する
箸にも棒にも掛からぬほどのごくごく小さな活動です。

この疑問を解き明かす試みは、同時に私たちの今と
これからの生活を考えるヒントになる可能性があると考えます。

私はその昔、いわゆる『IBMパーソナルコンピューター』
が黒船として国内にやってきた時代に(1980年代前半)
そのクローン機の開発・設計技術者でした。
(IBMパーソナルコンピューターは机の上にどかんと箱を置いて、
 ブラウン管を乗せキーボードがあるというものですが、当時世界最小でした。
 今のPCのオリジンであり当時からデファクトスタンダードでした。)

その後、複数の企業にまたがり企業生活を
送ってきましたが、なんだかんだで一度も
コンピューター関連の仕事から離れたことがありません。

インターネットの歴史も仕事を通じて
いやほど聞かされましたが、あらためて今振り返ってみると
GAFAは生まれるべくして生まれてきたと思えてなりません。

木坂さんがGAFAを持ち出したとき、私は・・・
この人はインターネットの起源から押さえている
に違いない、と直感しました。

今の時代、ネットは生活の一部であり
人によっては分身として愛しているほどかもしれませんね。

ただしそもそもネットはいつ、どういう経緯で生まれ
今日に至っているかを知っている人は
非常に少ないと思われます。

ならば、コンピューター及びインターネットと
常に隣り合わせで社会人生活を送ってきたKENBOが
先輩たちに聞かされ、教わったことを整理しご紹介してみよう
・・・というのが主旨となります。

繰り返しになりますが、歴史を知ることで
今どう立ち向かうか、未来に向けて何をすべきか
というヒントにつながる可能性があるからです。

 

インターネットの起源を辿る

テクノロジーの観点ではTCP/IPが生まれたとき、
そう主張する人が多いのですが、もっともっと
古い時代にその起源があったと思っています。

つまり、その事象が無ければ
インターネットは生まれていなかったかも
というのが起源にあたります。

古い時代とは、1940年秋。
ドイツの爆撃機によるロンドン大空襲に遡ります。

アメリカでは常識になっているようですが
インターネットの元祖をたどると
必ず3人の名前に行き着きます。

それは、
ウィーナー
ブッシュ
リックライダー

というMIT(マサチューセッツ工科大学)の重鎮です。

ウィーナーは、子供時代から数学に秀で
17歳でハーバード大学の博士号を取った
ユダヤ移民の息子でした。

だからこそ、反ナチの執念はすさまじい
ものだったそうです。

彼の課題は、ロンドン上空を思いのままに
飛び回るドイツ爆撃機を何とかして
追跡できないかということでした。

高射砲による追跡システムの開発ですね。
このために、微分方程式を解くための機械
作ったのですが重さ100トン、滑車、車輪など
組み合わせたもので、巨大な装置です。

装置というより、おそらくは
建物全体と言えるほどの巨大な仕掛けです。

これが機械式アナログコンピューターの
元祖と言われてます。

ウィーナーが優れていたのは高射砲と
操作員の間で行き来する情報の流れを
使って爆撃機の飛行予測ルートを見出した点です。

コネクティビティに関する科学を開拓し
これはサイバネティクスと呼ばれました。

この概念は後にGoogle検索エンジンの開発にも
大きな影響を与えたと言われています。

ウィーナーはブッシュのチームで働いていたのですが
ブッシュは当時のローズヴェルト大統領の科学顧問でした。

ブッシュは当時すでに多すぎると思われた情報(コンテンツ)を
いかにしてまとめていくかという課題意識を持っていました。

当時のブリタニカ百科事典をマッチ箱くらいの大きさに
閉じ込められる(マイクロフィルムなどで)と信じていました。
(その発想も当時としては画期的なものです。
 人は今リアルに存在するものでしか新しいことを
 想像するのは困難です。)

リックライダーはウィーナーやブッシュに比べて
一世代年下にあたります。

冷戦のさなか、ウィーナーの集まりによくやってきた
リックライダーのテーマは、核爆弾を搭載した旧ソ連の
爆撃機を追跡すること。

1950年代半ば、リックライダーはモニターを装備する
人類最初期のデジタルコンピューターを開発しました。

メモリは64KB(キロバイトです)
2019年現在、普通にスマホで見かける64GBに比べて
100万分の1以下です。

はい、この時点ではまだまだコンピューターは
どこか別のコンピューターとの通信手段を
持っていたわけではありません。

コンピューターについて;
ウィーナーは、微分方程式を解くだけじゃないと考え、
ブッシュは、効率的な情報整理するために役立つと信じ、
リックライダーは、通信できる機械の可能性を見出したわけです。

このようなインターネット開花につながる
可能性がじわじわと蓄積されていくのです。

 

スプートニク危機で焦ったアメリカ

1950年代後半から1960年代前半は、いわゆる
冷戦のピークにあたる時期でした。

1957年にソ連は世界で初めて
人工衛星スプートニクの打ち上げに成功しました。

この時、大国アメリカは一時パニックになったようです。
何の危害も加えない小さな宇宙空間の箱に
脅威を感じました。

スプートニクを打ち上げる能力があるなら
ソ連にとっては核ミサイルをアメリカに打ち込む
こともできるのではないか?

なんだか、今の北朝鮮問題を巡る話と
どこかに似ているような気もしますが
インターネット誕生のトリガーは華々しい技術革新
ではなく恐怖だったのです。

コンピューター技師であるポール・バランは
アメリカのアナログ式通信システムが弱点であることを
知っており、これが核攻撃の第一目標になると気づいていました。

この通信システムが狙われたら、自前の核兵器が
あったところで意味がなくなってしまう。

バランは、通信システムが狙われても
『より残存可能なネットワーク』であれば
核攻撃に耐えられると踏んでいました。

バランの編み出した考えは、
中央の通信局に端末をタコ足のように繋げるのではなく
多くのノードを置いて、隣り合うノードを接続する方式で
『分散型ネットワーク』と呼ばれました。

集中型で無い為に、核攻撃に耐えられるという発想です。

これが実ったのは1969年。
UCLAからスタンフォード研究所を結んだ
史上初のコンピューター間通信が成功しました。

このネットワークをARPANETと称しますが
まだインターネットではありません。

ただインターネットのルーツがARPANETである
という考え方も厳然としてあるのも事実です。

 

TCP/IPというオープンアーキテクチャ

ARPANETの成功から、各国でさまざまな
パケット交換ネットワークがさかんになってきたのですが
副作用としてネットワーク間通信が超複雑になってきたのです。

ここで全く新しい概念が登場しました。
それがTCP/IPという2つの相補的プロトコル。

TCPはTransmission Control Protocol
IPはInternet Protocol

TCPはストリームを確実に送るサービスのことであり
IPはそのストリームを配送する役割をもっています。

TCP/IPという共通のルールブックによって
それまでバラバラだったあらゆるネットワークが
通信しあえるようになりました。

ここに来て、インターネットの芽が開いたと
言って間違いありません。

通信しあえるようになったネットワーク間で
最も使われるようになったキラーアプリも誕生しました。

それは、誰もが使っているおなじみの電子メールでした。
これ以外に流行ったキラーアプリにBBSもありました。

 

WWW・HTTP・URLが作られ今の姿に

1980年に欧州原子核研究機構(CERN)に
参加したバーナーズ・リーは
自分が何かを忘れるのを防ぐことに関心を持っていました。

同時に彼はブッシュやバランの研究にも精通していました。
つまり、これまでのインターネット開闢(かいびゃく)の
事情や状況を非常によく知っていたというわけです。

リーが考えていたことは、
すべてのコンピューターに蓄積された情報が
すべて連結されたらどうなるだろう?

ということでした。

現代において、私たちはさまざまなデバイスが
ネットワーク接続されていることに何の不思議も感じず
ごく当たり前として、デバイスを通じて
やりとりする情報の海に浸っています。

しかし1980年代前半までネットワーク通信がTCP/IPにより
自在につながるようになり、電子メールソフトも
登場していましたが、そこには
『WEB』という概念はまだ登場していません。

リーはインターネットの操作性をうんと
単純化できる技術を発明したのです。

これには3つの技術が合わさっています。

第一に、ハイパーテキスト(=順序にとらわれない文章)
を書き込むための言語を作りました。
これは、ハイパーテキストマークアップランゲージ
と呼ばれています。

今、このページをご覧になっている方であれば
少なくとも例外なしに知っている言葉です。
HTMLのことです。

第二に、ハイパーテキストファイルを転送するための
通信規約を作りました。
ハイパーテキストトランスファープロトコルと呼ばれています。

これも誰もが知っている単語です。
HTTPのことです。

第三に、各ハイパーテキストファイルに連結され
WEB上にあるあらゆるファイルを即座に呼び出せる番地。
ユニバーサルリソースロケーターと呼ばれており
おなじみのURLのことです。

こういった飛躍があり、インターネットが
私たちが今普通に知っている形のウェブブラウザ
の形になったのは1991年のことでした。

世界で初めてWWWを冠するWEBサイトが
公開されたのは1991年11月のことでした。

 

インターネット第二幕の主役

ここまでご紹介したインターネット黎明期までの
テクノロジーの進歩・・・

これでいきなり私たちが関わる
インターネットビジネスが開いたわけではありません。

ここで極めて重要な出来事が二つ起こったのです。

ひとつは、これまでに登場したバーナーズ・リー始め
公金を使って出来上がったインターネット技術の
公開について完全無料で行う
ことに尽力したことです。

ウェブブラウザ技術にライセンス料を取ることに
彼らは反対してきました。

こういった活動もあって1991年、アメリカ政府は
それまでインターネット利用について
『研究と教育』に限定した利用規約を求めていましたが
それを閉鎖し民間のプロバイダーに譲渡したのです。

もともと軍用として開発され
進化を続けたインターネットテクノロジーが
民間に譲渡され、無料公開されたことにより
爆発的に広がっていきます。

この瞬間がインターネット第二幕の始まりでした。

驚異的な金銭的利益を生み出したのは
第二幕の主役たちです。

GAFAは第一幕ではなく、第二幕に
登場し今日に至っています。

 

このページのまとめ

さて、この話は次にいよいよ
インターネットを使った収益という
段階に続くわけですがこれはまた続編にて。

ただGAFAで連想できる重要なキーワードを
ひとつお伝えしたいと思います。

インターネットの特性により
収益は勝者総取り
という冷酷なルールが支配している
現実をよく考えてみましょう。

独占か、敗者かどちらかという
非情なルールです。

GAFAの下請けになる、という理由は
人間の生活すべてに関わるビッグデータを
持っているところが勝者になる
・・・そんな危惧から来ています。

冒頭の話題に戻りますが、
木坂健宣さんが『ネットビジネス大百科2』で
GAFAの詳しい話からスタートしたところに
私はネットビジネスの本質を見抜いていると感じました。

木坂さんの言う「独占」は、
いわば勝者総取りの理論そのものです。