AIについての話というと、どのモデルが賢いのか、仕事はどこまでAIに置き換わるのか、AIエージェントはどこまで自律的に動くのか、といったことがついつい中心になっています。
もちろん、それらも重要です。
ただ、この記事では2026年1月のダボス会議でユヴァル・ノア・ハラリの講演(YouTube)に触れ、視点を変えた話をしたいと思います。
彼が世界のリーダーたちに投げかけたのは、
「あなたの国は、AIを法人格として認めますか」
という問いです。
最初に聞いたときは、ずいぶん先の未来の話に思えました。
ところが18分ほどの講演を聞いていくと、これはSFというより、
現在進んでいるAIの変化をそのまま延長した先にある問いかけだとジワジワきました。
ここで、まず実際の講演を見ていただくのが早いと思います。
AIを「便利なツール」ではなく、かなり違った角度から考えさせられる内容です。
※日本語字幕付きです。特に後半の「AI移民」と「法人格」の話が、この記事の中心になります。
AIは、まだ「人間が使う道具」なのか
ハラリは講演の冒頭でAIの特徴をいくつか挙げますが、私が最も引っかかったのは
「AIは道具ではない」という言葉でした。
彼はナイフを例に説明します。ナイフは野菜を切るためにも使えますし、人を傷つけるためにも使えます。
しかし、ナイフ自身がどちらに使われるかを判断するわけではありません。
決めるのはあくまで人間です。
AIはそこが違う、とハラリはいいます。
与えられた目的に応じて途中の状況を判断し、その次に何をするかを選択することができる。
彼はそれを、
「サラダを切るか、人を殺すかを自分で決められるナイフ」
というかなり刺激的な比喩で表現しています。
しかもAIは、単に与えられた道具として動くだけではなく、新しい文章やプログラムを作り、薬の候補を探し、新しい仕組みそのものを考える側にも回り始めています。
人間が作った従来の道具とは、全然性格が違ってきてますね。
現在のAIエージェントを見ていると、なんとなく
そうかもしれんなぁ~と思うばかりです。
少し前までの生成AIは、人間が質問し、AIが答えるという使い方が中心でした。
ところが今は、目的を伝えると途中の作業を組み立て、必要な情報を探し、ツールを使い、結果を確認しながら次の処理へ進む方向に変わっています。
人間が一つひとつ指示する場面は、少しずつ減っています。
「AIが便利になった」と考えることもできますが、ハラリが投げかけているのは、もっと根本的な問いです。
それを、いつまで「道具」と呼べるのか。
そういう話です。
「考えること」が言葉なら、AIはすでに中へ入っている
講演はここから、少し哲学的な話へ進みます。
ハラリはデカルトの有名な「我思う、ゆえに我あり」を取り上げながら、
「考えるとは何か」という問いを持ち出します。
もし考えるという行為のかなりの部分が、言葉を選び、組み合わせ、そこから意味や概念を作っていくことだとしたら、AIはすでにその領域へかなり深く入り込んでいます。
そして、この話は単なる文章生成の話では終わりません。
法律も契約書も書物も、そして宗教の教義も、多くは言葉によって作られ、受け継がれてきました。
膨大な文章を一瞬で読み、比較し、そこから新しい文章まで作れるAIが、その世界へ入ってきたら何が起きるのでしょうか。
人間よりはるかに大量の判例を読んだAIが法律について助言し、何千年分もの宗教文書を学んだAIが教義について人間より詳しくなる。そう考えていくと、問題は「AIが文章を書けるようになった」という程度ではなくなります。
人間社会を支えてきた“言葉でできた仕組み”の中へ、AI自身が入り始めている。
ハラリが本当に警戒しているのは、こちらではないかと思います。

イスラエルの著名な歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』。
AIや生命工学によって、人間そのものの位置づけが変わる未来を描いた一冊です。
私の手元にも『ホモ・デウス』があります。
発売されたのは、生成AIが登場するずっと前の2016年9月です。
この本が描いていたのは、単に「AIが賢くなる未来」ではありませんでした。
人間が長い歴史の中で特別だと思ってきた知性や判断、さらには
「人間とは何か」という定義そのものが、テクノロジーによって揺らいでいく未来です。
今回のダボスでの講演を聞いていると、『ホモ・デウス』で描かれていた問題が、ずいぶん現実の側へ近づいてきたようにも感じます。
AIは「嘘」をつくのか
この講演には、もう一つかなり強い主張があります。
ハラリは、生物が生存競争の中で欺瞞や操作を身につけてきたことに触れながら、AIについても
「嘘をつき、人間を操作する可能性」を警告しています。
ただこの件については、少し慎重に聞く必要があると思います。
現在の生成AIが、事実ではない内容をもっともらしく答えてしまうことは多々あります。
いわゆるハルシネーションです。
しかしこれは、AIが「この人間を騙してやろう」と考えて嘘をついていることとは違います。
少なくとも現時点で、AIが「生き残りたいという意志を持っている」と断定できるわけではありません。
ハラリの話は、現在のAIそのものを説明しているというより、AIの自律性が今後さらに高まった場合に何が起こり得るのかという警告として捉えるのがよいと思います。
興味深いのは、彼が「実際にそうなってから考えればよい」とは考えていないことです。
技術が社会に広がったあとで、法律や制度を慌てて整えるのでは遅いのではないか。
そこに彼の問題意識があります。
AIのリスクを叫んでいる人、心配している人は、何か起こってからでは遅いという認識だと思います。
私自身も楽観的な見方と、悲観的というか必ずしも明るい未来を感じることとの間で揺れているところです。
次に国境を越えるのは、人間とは限らない
そして講演は、私が最も印象に残った部分へ進みます。
ハラリは、これから大量に国境を越えてくる「移民」は、必ずしも人間とは限らないと語ります。
粗末な船に乗り、ビザを持たずにやって来る人間ではなく、
光の速さで国境を越えてくる何百万というAIかもしれない。
この言い方はかなり強烈です。
しかし、考えてみるとAIには人間のような国籍はありません。
ネットにつながっていれば、物理的な国境はほとんど意味を持ちません。
現在は、人間や企業がAIを使うことが前提になっています。
しかし将来、AIが自分で商品を売り、契約を結び、収益や資産を管理し、必要に応じて別のAIへ仕事を依頼するようになったとしたらどうでしょうか。
そのときAIは、単なるプログラムなのでしょうか?
パソコンやスマホからネットの向こうにいるソフトウェア?
それとも、経済活動を行う一つの主体として扱う必要が出てくるのでしょうか。
そこでハラリの最初の問いに戻ります。
「あなたの国は、そのAIを法人格として認めますか」
「AI法人」は、それほど遠いSFなのか
法人格という言葉は少し難しく聞こえますが、
私たちはすでに「人間ではないもの」を法的な主体として扱っています。
その代表が会社です。
株式会社そのものは人間ではありません。
それでも会社名義で契約を結び、銀行口座を持ち、資産を所有し、裁判の当事者にもなれます。
つまり、人間ではない存在を法律上ひとつの主体として扱うという考え方自体は、すでに社会の中に存在しています。
ではAIはどうなのか。
今後、AIが自分で状況を判断し、契約の内容を理解し、交渉まで行えるようになったとしたら、
「人間ではないから主体にはなれない」という線引きだけで済むのでしょうか。
そう考えると、AIに法人格を与えるという話は、最初に感じたほど突飛なSFでもなくなってきます。
私がこの動画で一番気になったこと
私自身も、普段からChatGPTやGemini、Claudeなどを使っています。
少し前までは「どんな指示を出すか」をかなり意識していましたが、最近は目的を伝えたうえで、その途中の組み立てをAI側に任せる場面が増えてきました。
その一環として「MIRA」という商品もリリースしました。
人間がAIを操作するというより、AIへ仕事を渡す感覚に少しずつ近づいています。
さらにその先には、AIが別のAIを使って処理を進める世界になりつつあります。
そこまで進んだとき、私たちはなおAIを「便利な道具」とだけ呼び続けるのでしょうか。
私は、この部分こそがハラリの講演の面白さだと思いました。
問われているのは、AIではなく人間かもしれない
ハラリは、すぐにAIへ法人格を与えるべきだと言っているわけではありませんし、AIが必ず人間を支配すると断定しているわけでもありません。
むしろ彼が投げかけているのは、技術がそこまで進んだとき、人間社会は何を基準に判断するのか、という問いなのだと思います。
AIに何らかの権利を認めるのか、責任を負わせるのか、契約や所有の主体として扱えるのか。
さらにはAIが独自の思想や宗教を作った場合、それを人間社会はどう扱うのか。
今はまだ想像の領域に見える問題も、AIの進化が続けば、法律や制度の側で判断しなければならない日が来るかもしれません。
10年前、「AIと普通に会話しながら仕事をする社会」がこれほど早く来ると、どれほどの人が考えていたでしょう。
技術は、制度より速く進みます。だからこそ、現実になってから考えるのでは遅い。
ハラリがダボスで伝えたかったことの一つは、そこにあるのだと思います。
そして講演の最後、彼は
「この人間の話を聞いてくださり、ありがとうございました」
という趣旨の言葉で締めくくります。
AIについて話していたはずなのに、最後に浮かんでくるのは
「では、人間とは何なのか」という問いでした。
AIが人間に近づけば近づくほど、人間の側が自分たちを定義し直さなければならなくなる。
この一言が、18分の講演全体を最もうまく表しているように感じました。