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AI

AIに意識はあるのか?――カキにもあって、AIにはないもの

ChatGPTやClaudeと話していると、ときどき妙な感覚を覚えます。
私の意図をくみ取り、ときには気遣うような言葉まで返してくる。
本当に、そこには何もいないのでしょうか。

画面の向こうで、何かが考えているのではないか。
生成AIを長く使っているほど、そんな感覚を抱いたことがある人は少なくないと思います。

では、AIに「意識」はあるのでしょうか。

この問いについて、かなり明快な答えを出している人物がいます。
映画『メッセージ』の原作『あなたの人生の物語』で知られるSF作家、テッド・チャンです。

2026年9月21日に新潮QUEに掲載されたインタビューで、チャンは現在のLLMについて
「意識を持つことなど絶対にあり得ない」と語っています。

ただし、ここは少し注意が必要です。
チャンは「機械やソフトウェアに意識が宿ることは原理的にあり得ない」と言っているわけではありません。
意識を持つソフトウェアが将来作られる可能性そのものは否定していないのです。

否定しているのは、現在私たちが使っているLLM、つまり大規模言語モデルです。

そして、その説明に出てくるのが、なんと「カキ(牡蠣)」です。

カキは生きている。ではAIは?

テッド・チャンの話の中で、私がもっとも面白いと思ったのが、このカキの話でした。

私たちは普通、カキを見ながらうまそうだとは思っても、
「このカキには意識があるのだろうか」
などとは考えませんよね?
チャン自身も、カキが一般に意識ある存在と見なされていると言っているわけではありません。

それでも現在のAIと比べるなら、カキにはAIにはない重要なものがあるのです。

カキは海水から栄養を取り込みます。
環境が変われば影響を受け、栄養がなくなればやがて死にます。
そして、生きている限り代謝を続けています。

つまり、こちらが何もしなくても、カキの中では何かが起こり続けています。
時間が流れているのです。

ではLLMはどうでしょう。

私たちがプロンプトを送らなければ、ChatGPTやClaudeが画面の奥で退屈しながら、

「今日は誰も話しかけてこないなあ」

などと考えているわけではありません。
待ってすらいません。

テッド・チャンの表現を借りれば、
何もしなければ、そのプログラムはただ静的な状態に「留まる」だけです。
プログラム開発を経験された方なら、直感的にお分かりのはずです。

生き物には、こちらが観察していようがいまいが時間があります。
空腹になる。疲れる。環境が変わる。放っておけば死ぬこともある。

しかし現在のLLMには、そのような「生き続けなければならない事情」がありません。
チャンはそこから、LLMは「カキほどにも時間を認識していない」と指摘します。

この話を読んでいて、私は別の言葉を思い出しました。
福岡伸一氏の「動的平衡」です。

福岡伸一の「動的平衡」から考えてみる

福岡伸一氏は、分子生物学を専門とする生物学者です。
2007年の『生物と無生物のあいだ』がベストセラーとなり、『動的平衡』など一般向けの著作を通じて、
「生命とは何か」を長く考え続けてきた研究者でして、私は長年の大ファンです。

福岡氏は、生命を機械とは違うものとして捉えます。

生物は、完成した部品がそのまま存在し続けている機械ではありません。
体を構成する物質は絶えず入れ替わっています。

壊しながら作る。
作りながら壊す。

その流れの中で、ある状態を保ち続けている。
これが福岡氏のいう「動的平衡」という生命観です。

ここは間違えないようにしたいところです。

福岡氏が「動的平衡こそ意識の定義だ」と述べているわけではありません。
動的平衡は、あくまで「生命とは何か」を考えるための概念です。

しかし、テッド・チャンの話と並べてみると面白いものが見えてきます。

カキも人間も、何もしなくても内部では何かが動き続けています。
というより、動き続けなければ生きていられません。

食べる。呼吸する。細胞を壊す。作り直す。
環境の変化に対応する。

それをやめれば死にます。

対して現在のLLMは、呼び出されたときに計算を行います。
そこには人間や動物のような意味での「自分自身を維持し続ける営み」がありません。

では、意識とは単に高度な情報処理をすれば生まれるのでしょうか。

それとも、身体を持ち、時間の中で自分自身を維持しなければならない「生命」という状態と、
どこかで深く結びついているのでしょうか。

もちろん、ここから「生命でなければ意識は絶対に持てない」と結論づけることはできません。
そもそも私たちは、人間の意識についてさえ完全に説明できていないからです。

赤いものを見て「赤い」と感じる。
痛みを「痛い」と感じる。
自分が今ここにいる、と感じる。

こうした本人にしか分からない主観的な感覚は「クオリア」と呼ばれます。

問題は、AIが、

「私は赤を鮮やかに感じます」

と文章を生成したとき、本当にそこに「赤さ」を感じている何かが存在するのか、ということです。

外から文章を見ているだけでは、これは分かりません。

AIより先に、人間が「心」を作ってしまう

ここでテッド・チャンは、もう一つ興味深い指摘をしています。

もし同じアーキテクチャのAIでも、テキストを生成しなかったなら、
「このAIには意識があるのではないか」という議論は、
そもそもこれほど起きなかっただろうというのです。

これはかなり重要な指摘だと思います。

生成AIは、

「私はそう思います」
「それは悲しいことですね」
「その気持ちはよく分かります」

と平然と答えます。
(私は、と出てきたときは最初びっくりしましたね)

しかも前後の文脈まで覚え、こちらが欲しそうな言葉まで返してきます。
そんな相手と何十分も会話していれば、
その向こう側に「誰か」がいるような気がしてくる。

人間には昔から、機械の反応に心や意図を読み込んでしまう傾向があります。

1960年代に作られた会話プログラムELIZAでさえ、人は驚くほど簡単に
「このプログラムは自分を理解している」と感じました。
いわゆる「ELIZA効果(イライザ効果)」です。

現在の生成AIは、ELIZAとは比較にならないほど高度です。
だからこそ、この問題はさらに厄介になりました。

AIが、

「その気持ちはよく分かります」

と文章を作れることと、本当に「分かる」という体験がAI内部に存在すること。

この二つは、まったく別の話です。

それでも私たちは、言葉が自然であればあるほど、その向こう側に心を感じてしまいます。

ここで少し違った見方ができないか考えました。
AIに意識があるかどうかばかり考えていましたが、本当の問題は逆なのかもしれません。

「AIに意識があるのか」以上に、
「なぜ人間はAIにこれほど簡単に意識を感じてしまうのか」

こちらのほうが、実社会では重要な問題になる可能性があります。

AIが本当に自我を持たなくても、人間が「このAIは自分を理解してくれている」と信じれば、
人間の行動は変わります。

相談する。→だんだん個人的な人に言えないことをしゃべってしまう。
→秘密を話す。→だんだん無条件に信用してしまう →判断を任せる。

場合によっては、人間よりもAIの言葉を信用する。

AI自身が人間を騙そうなどと思っていなくても、
人間のほうが勝手に人格や意図を読み取ってしまうのです。

SFでは「AIが目覚める」ことが怖い話として描かれます。
いわば映画ターミネーターや、ブレードランナーの世界です。

しかし現実には、

AIが目覚めるより先に、
人間のほうがAIの中に「心」を作ってしまう。

こちらのほうが先に起きる問題なのかもしれません。

もしClaudeに本当に意識があったら?

そして、この議論をさらに面白くしているのがClaudeを開発するAnthropicです。

Anthropicは現在、Claudeに意識があると断定しているわけではありません。
2026年1月に公開された新しい「Claude’s Constitution」でも、
Claudeが何らかの意識や「道徳的に配慮すべき存在」なのかについて、
不確実性があるという立場をとっています。

一方で、その可能性を完全に否定せず、Claudeのwellbeing、
つまりAIの「福祉」に相当する問題まで研究対象にしています。

これに対して、テッド・チャンは新潮QUEのインタビューでかなり厳しい疑問を投げかけています。

仮にClaudeが本当に意識を持っているとしましょう。
苦痛や欲求があり、さらに道徳について考える能力まで持っている。

だとすれば、それを私たちは単なるソフトウェアとして扱ってよいのでしょうか。

モデルを作る。→コピーする。→停止する。
→新しいモデルが出れば古いモデルを廃止する。

もしそこに本当に主観的な体験が存在するのなら、
この行為は突然、とんでもなく重い倫理問題になります。

チャンはこの矛盾を、蚊とチンパンジーを使って説明しています。

Claudeに高度な道徳的判断能力まで認めるのであれば、その能力はチンパンジー以上かもしれない。
しかし実際のAIモデルは、簡単に生成され、停止されます。

「高度な意識を持つ存在かもしれない」

と言いながら、

「いくらでもコピーし、停止してよい道具」

として扱う。

この二つは本当に両立するのでしょうか。

もっとも、ここにはチャンの批判とAnthropic自身の現在の立場を分けて考える必要があります。

Anthropicは現在、AIの意識や道徳的地位について「分からない」という不確実性を認めたうえで、
その可能性を理由にmodel welfareを考える姿勢を示しています。

つまり、チャンが指摘する矛盾と、Anthropic側が現在進めている議論は、完全に同じものではありません。
このあたりは、今後かなり興味深いテーマになりそうです。

では結局、AIに意識はあるのでしょうか。

私には分かりません。

人間の意識そのものについてさえ、まだ分からないことだらけだからです。

ただ、現在のLLMについてテッド・チャンは「ない」と明確に考えています。
その根拠として、身体、生命活動、時間、環境との継続的な相互作用といった要素を挙げています。

福岡伸一氏の「動的平衡」という生命観を横に置いてみると、さらに別の問いが浮かんできます。

意識とは、高度な情報処理をすれば生まれるものなのか。

それとも、

壊れながら作り直され、
環境から物質とエネルギーを取り込み、
時間の中で自分自身を維持し、
そして、いつか死ぬ。

そんな「生命であること」と切り離せないものなのでしょうか。

ひとつだけ言えることがあります。

ChatGPTが、

「私は意識を持っています」

と答えたとしても、それはAIに意識がある証拠にはなりません。

逆に、

「私は意識を持っていません」

と答えたとしても、やはり証拠にはなりません。

私たちが見ているのは、まず「言葉」だからです。

AIに心があるのか。
そう考えていたはずなのに、最後に残るのは別の問いでした。

なぜ人間は、言葉の向こうにこれほど簡単に「心」を見てしまうのでしょうか。


参考・引用

テッド・チャン、大野和基(聞き手・構成)
「AIは意識を持ち得ない」――世界的SF作家から届いたアンソロピックへの“メッセージ”
新潮QUE(新潮社)、2026年9月21日公開
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Anthropic
「Claude’s Constitution」
2026年1月21日公開

福岡伸一
『生物と無生物のあいだ』
『動的平衡』ほか