ChatGPTが出現したのは2022年の暮れ近くだったので、そろそろ3年になりますね。
しかし、この「たった3年」なのにすでにAI疲れしている人も多いと思います。
私自身は、第〇次AIブームだ!!と期待されつつ、そのまま繰り返し萎んでしまった業界に
長くいたせいか、ChatGPT以降を第四次AIブームと呼ぶ人もいるなかで
慣れてしまったんでしょうか、仕事でやっていることなのでなんとも感じていません。
ただ最近、AI疲れがどこからきているのか?
その中のひとつには、AIに仕事を奪われるのではないか?
といった話もちょくちょく聞くことが多くなりました。
AIの本質をここであらためて問いたいと思います。
外山滋比古さんの「思考の整理術」
最近のNHKニュースで知った話です。
外山滋比古(とやま・しげひこ)さんの「思考の整理術」です。
私も若い頃、一度は読んだ覚えがあります。
累計発行部数300万部突破!
東大・京大・早慶など全国44の大学で1位を誇ってきた名著です。
NHKのニュースでは、若い女性がこの40年以上前の本を読んで
「これは自分ごと」だと感じた様子を放映していました。
彼女はなにを感じたのでしょうか?
この本が出版された当時、コンピュータは世界に登場していましたが
まだまだ個人で手軽に扱える時代ではありません。
それにそもそも私たちが常識として理解している、ブラウザもサイトもありません。
インターネット自体がそのときにはまだ世の中になかったのです。
コンピュータはあくまで企業や研究機関なんかで使うもので、個人がどうのこうの
という時代ではなかったのです。
しかもでかいコンピュータは場所を食うだけではなく、
オフライン(スタンドアロン)でそこだけで動いていた機械に過ぎなかった時代です。
しかし、インターネットが世界の隅々まで浸透しその後、検索エンジン時代が
ずっと続いてきて、それは今でも力をもっています。
さらにここへ生成AIが登場しました。
スマホで適当に聞いてみても、ちゃんと会話として成り立つだけではなく、
それなりの答を返してくれ、とても便利で面白いヤツだな・・・
と一気に広がっており、これからもっと浸透するでしょう。
今はさらにAIエージェントも出てきて、生成AIが単なる受け答えで終わっていたのを
ちゃんとその先まで仕事してくれ、ますます便利になっていることも知られています。
そうこうするうちに、その素晴らしく頼もしい生成AIによって
自分の仕事が奪われるんじゃないかと(すでにそうなっているかも)
心配する声も広がっています。
NHKニュースで見た女性は、スマホでAIの返事を見て
ああ、そうか・・・と何気にそこで終わる自分に気がついたのです。
つまり、
考えることをしなくなった自分
に気が付いたわけですね。
インターネットもAIももちろん無い古い時代のこの著書が、
今でも通じるものがあること教えてくれたのです。
・・・これは自分のことだ、と。
私たちは本能的に気づき始めているのです。
情報や知識をただ受け取るだけでは不十分であり、
自分自身の頭で「考える」ことの重要性のことです。
実はこれこそが、AIと人とを区別する重要なキーワードです。
AIは「学習」して、「推論」をするマシンです。
あえてややこしい言い方をすると、ChatGPTのようなLLM(大規模言語モデル)は、
学習し数値化された単語(=トークンと呼びます)が多次元ベクトル空間に配置されたものを、
TransformerというAI本体にあたる機能により文脈を理解して、次に来る単語が何かを予測して
トークンを文章に復元するように動きます。
ここにあるのは推論であって、人が「考えている」こととは本質的に異なります。
外山滋比古さんの「思考の整理術」は、ヒトならではのやるべきことを
社会に羽ばたく学生に訴えているのだと思えてなりません。
こちらの学生書評でもわかりますね!

因みに若者だけに通じる話ではなく、酸いも辛いも知っているオジサン、オバサン世代こそ
読む価値があるように思います。

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外山滋比古 思考の整理術
amzn.to
AIでは無理!と思った文豪 開高健の「オーパ!」
こちらはニュースからではありません。
同じく40年以上前(1981年:昭和56年)の出版で文豪で大好きな開高健さんの
「オーパ!」及び「オーパ!オーパ!」シリーズをあらためて読み返した
KENBOの個人的見解を綴っています。
なにごとであれ、ブラジルでは驚いたり、感嘆したりするとき
「オーパ!」と言うのだそうです。
この本は著者である開高健(かいこう・たけし)さんがブラジルのアマゾン河での
釣りのエッセイであり、半分はかの篠山紀信さんの弟子だった高橋昇(たかはし・のぼる)さんの
この釣り紀行に同行した写真集で成り立っています。
つまり釣り師兼文豪である著者と名カメラマンによるエッセイ写真集です。
開高健さんは1989年に、高橋昇さんは2007年にお亡くなりになりました。
お二人は本当に信頼しあっていたのだとわかります。
こちらの記事(↓)からも明らかです。
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【連載】時代を写した写真家100人の肖像 No.41 「瞬間と永遠」一人の作家に惚れ込んだ、写真家高橋昇の生涯 開高健 著 ;高橋曻 写真『オーパ!』(集英社 1978年) 鳥原学 | PicoN!
生涯にわたって尊敬できる師を得られたなら、それは幸福な人である。写真家・高橋曻が敬愛し続けた師は、博学多才の小説家にして釣り師の開高健である。
picon.fun
私はこのシリーズが好きで好きでたまらなくて、出版された当時から
何度読み返したか、そして旅への空想、恍惚、茫洋としたあこがれを
どれだけ感じ取ったかわからないくらいです。
最初の本がボロボロになって、あらためて2回、3回と買いなおしたほど
このシリーズが無茶苦茶好きでしたが、その後仕事の忙殺、その他
人生のあれやこれやに揉まれているうちに所在をすっかり忘れておりました。
ここのところ、AI疲れの人の話も聞きつつ、何気にあらためて本を手にした途端、
どんよりとした停滞感も吹き飛び、おそらく20年ぶりくらいに開高健さんの
文体に酔いしれ、文豪ならではの想念、言葉使いに参った!と思いました。

本は年月を経て黄ばんでいます。
ところどころ、若い頃にひいたマーカーの跡もそのまま残っています。
「オーパ!オーパ!」シリーズにはモンゴル・中国やコスタリカなど
釣り師にして文豪が老骨鞭打っての紀行がありますが、このアラスカ・カナダの北巡りが
締めの一冊になると承知しています。
ここでどの文章が凄いか、などと言ったところでそれは私が感じた箇所に過ぎません。
ただ言えることは、アマゾン河という無窮の甘い海(マール・ドーセ)にてダニにたかられ、
ピラーニャ、ドラド、ピラルクといった大物たちにてこずり、ピンガ(焼酎)をすすりながら
つぶやく釣り師の言葉は昨今はやりのAIでは決して作り出せないものです。
なんというか、文豪の言葉とは自分の言葉が自分を追い越しているとでもいうべきか、
次から次へと人の血と汗と悶々とした思い、歓喜、豊穣、なんだかごった煮のようであり、
文豪言うところの「お子様の脳をもった大人」のつぶやきを聞かずにいられません。
「オーパ!」の冒頭にあるメッセージだけ引用します。
何かの事情があって
野外へ出られない人、
海外へいけない人、
鳥獣虫魚の話の好きな人、
人間や議論に絶望した人、
雨の日の釣り師・・・・・
すべて
書斎にいるときの
私に似た人たちのために。
この名分にあえて勝手に付け足すとしたら、
AIで疲れ果ててしまった人、
AIによって自分の仕事はこれからあるのだろうかと心配な人
くらいでしょうか。
そういう人は、まずこの「オーパ!」を是非お勧めします。
澱のように固まって柔軟性がなくなった思考形態から
この釣り紀行があなたを解放してくれるかもしれません。
私がそうであったように、苦悩している人間だけが発することのできる
生々しい文章を再発見できるのではないかと期待しています。
これは、AIには無理だな。。。
少なくともネットで拾える文豪の表面的な言葉ではなく、
彼のDNAまで解析して再構築しなくちゃこんな文は書けるわけがない。。。
率直にそう感じました。
そこには人だけが表現できる文体があり、まったりと余韻に包まれました。
なぜそう思うのか?
AIには決定的にできないことがひとつあるからです。
それは「体験」です。
AIは五感で体験することができません。
人はそこでAIとの差別化が可能なのです。

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オーパ!
amzn.to
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オーパ!オーパ!
amzn.to
