赤ちゃんひょっとこ

https://www.ifrv.net

カルチャー考察

この赤ちゃんひょっとこ、なぜ何度も見てしまう?「かわいい」だけでは説明できない理由を考察

どうもエンジニアあがりのせいか、何かあると分析しないとすまない性分でして、
これが何気に見たYouTubeにハマった自分に対しても同じ調子です😀

YouTubeで偶然見かけた一本の動画が、なぜか頭から離れずに
ここのところ毎日ちょこっと見ては、ニヤリとしながら癒しをもらっています。

今回、私がそうなったのが、京都の祭りで大人たちに交じって踊る、
小さなキツネのお面をつけた「赤ちゃんひょっとこ」の動画でした。

小さな身体に白いキツネのお面。周囲にはひょっとこ面をつけた大人たち。
その中で、驚くほどリズムよく、堂々と踊っています。

最初は単純に「かわいい!」と思って見ていたのですが、
何度か見返すうちに、それだけでは説明できない引力があるように感じました。

なぜ、この子から目が離せないのか
たくさんの踊り手がいるのに、いつも視線は自然とこの小さなキツネへ向かうののはなぜ?

という疑問がふつふつと沸いて、自己分析をしたのがこの記事です。

といっても、他の方に役立つとも思えませんが、その動画は大人気のようでして、
ほんわかした気分になってもらえば、と思うばかりです。

言うまでもありませんが、その動画はAIを使ったものではありません。
お祭りに行ってみたごく普通の観客のひとりが、楽しみながらもある光景に釘付けになり、
スマホで撮った、そういう類の動画です。👶

この赤ちゃんひょっとこは練り歩きのお祭りのようでして、
多くの方が撮影しYouTubeにアップしているのを確認しました。
ここで引用したのは、そのうち一番わかりやすく編集されており、
且つかわいらしさMAXと感じたバージョンです。

「このキツネ最強!京都に現れた可愛い赤ちゃんキツネの凄まじいひょっとこ踊りに大人も釘付け(VIRTUAL KYOTO)」

「赤ちゃんだからかわいい」だけではない

まず最初にお断りしておきますと、「赤ちゃんひょっとこ」と書いておりますが、
3歳から4歳くらいの男の子だと思われます。
小学生まではいかない幼さが感じられます。

赤ちゃんではなく幼い子供、というのが正しい表現でしょう。
しかし「赤ちゃんひょっとこ」とあちこちの動画で出てくるのと、
このネーミング自体が何とも愛らしいのでそのまま使いますね。

この動画を見たとき、多くの人が最初に感じるのは、おそらく私と同様に
「かわいい~!!!」というのが第一印象だと思います。

動画のコメント欄でも、動画の中でもこの言葉が何度も出てきます。
ただ何度も見ていると、どうやらそれだけではないことに気づきます。

ちゃんと踊っているのです🕺(当たり前といえば当たり前)

幼い子どもが大人の真似をして身体を動かしている、という感じではありません。

ちゃんと腰を落とし、テンテケテンという拍子に合わせ、手の振りにも「止め」があります。
小さな身体なのに、動きが妙に締まって見える。

だから「かわいい」の直後に「おー、うまいなぁ」という驚きがやってきます。
思うに、この赤ちゃんひょっとこは相当に練習しているはずです。

しかも親が強制ではなく、自主的にひょっとこ踊りをしたいので練習した、
と思うほかない、なにやら私ら大人には無い純粋なひたむきさを感じます。

それになんといっても「幼さ」と「踊り手」の切り替わりが面白いです。

さらに面白いのは、踊っていないときには、ごく普通の幼児らしく見えることですね。

大人に囲まれ、頭をなでられたり、少しぼんやりしていたりする様子も伺えます。
ところがテンテケテンと始まると、急に一人の踊り手に変身します。

踊ってない普段の幼さと、踊っているときの集中。
その落差が大きいからこそ、なんともいえず面白いし、
そこがまたかわいいわけですが。

もしキツネのお面を外して踊っていたら?

私がこの動画を何度か見返して、一番気になったこと。
それは、「衣装とキツネのお面」です。

もし同じ子が、同じ踊りを、素顔のまま踊っていたらどうだろうか?

もちろん「踊りの上手な、かわいい子ども」として注目されたはず。
ただ、今と同じくらい記憶に残ったかというときっとそうじゃない。

ひょっとこ衣装にキツネのお面をかぶった瞬間、その子は「どこかの子ども」から、
別のなにかのキャラクターのような存在に変わっています。

見ている側は、いつの間にか
「小さなキツネが祭りの中に紛れ込んで踊っている」
ように勝手な物語まで感じ始める魅力があるように思うのです。

要するに、
顔が見えないから、逆に想像してしまう
わけです。

普通なら、表情が見えたほうが感情移入しやすいはずですが、
この動画では逆のことが起きているように思います。

お面で表情が見えないため、
いまどんな顔で踊っているんだろう、とか
本人は緊張しているのか、それとも夢中なのかと、
こちらが勝手に想像してしまうのです。

しかも白いキツネお面は、周囲のひょっとこ面とはまったく印象が違います。
コミカルな大人たちの中に、一人小さくも凛とした白いキツネがいる。
この視覚的な違いも、視線を強く引きつけてるな、と感じました。

もうひとつ、お面は身体とのアンバランスを誇張させるような力があることに気づきました。

小さな身体と大きめのお面のアンバランスのことです。

幼児の小さな身体に対して、お面が相対的に大きく見えるため、
どこかアニメやキャラクターのような頭身になる。

かわいらしい小ささと、キツネお面のシャープな表情の対比。
そのアンバランスさが、写真一枚でも伝わるほど強い見た目を作っています。

踊る大人たちと小さなキツネの関係が深い

さらに言うと、周囲とのサイズ差だと思いました。

もし、同じくらいの年齢の子どもが5人並んでキツネ面をつけて踊っていたら、それはそれでかわいいでしょう。
でも、この動画ほど一人の子に視線が集まったかはわかりません。

この動画では、大人の踊り手が並ぶ中に、足元ほどの高さの小さなキツネが一人だけ交じっています。
それなのに、同じ列に入り、同じ音楽で、同じ踊りをしている。

「大人の世界の中に、ひとりだけ極端に小さい存在がいる」
という構図そのものが、強烈であり、一瞬にして目を奪われてしまう、
現に私がそうでしたので。

ただ、

小さいのに、そこに
参加させてもらっている」ようには見えない

ここも不思議な感覚に囚われます。

ただ大人のそばに置かれているだけなら、「子どもも一緒に参加しているね」で終わってしまうのですが。

この子はちゃんと踊っています。
だから見ているうちに、「大人に交じった赤ちゃん」ではなく、
「小さな踊り手」として映る。

身体の大きさは圧倒的に違うのに、
役割として同じ場所に立っている。

そのギャップが、この映像を特別なものにしています。

この自然さ、なにげなさはAIでは作れない。
お祭りという日本人にとっては割と日常的な中に、意外性があって、
でもそれはとても自然で、面白すぎる情景が潜んでいる。
何気なくスマホで撮った情景に、視線を集め、心を和ませ、しかも考えさせられるものがある。

いいなぁ~赤ちゃんひょっとこ。。。とまた観ています😀

ところで、この動画の主役はほかにもいることにハタと気づきました。

赤ちゃんキツネばかりに目が行きますが、
何度か見ていると、周囲の大人たちの存在もかなり重要だと感じます。

周囲の大人とは、ひょっとこ衣装とお面をつけて踊っている人たち。

大人たちは、この小さな踊り手を目立たせようと大げさに演出しているわけではありません。

かといって放っているわけでもない。
必要なときには見守り、自然に同じ場の一員として受け入れているように見えます。
たぶんですけど、赤ちゃんひょっとこの親御さんも踊り手のひとりかも、です。

様子を見ていると、常に気遣いし、フォローし、あたたかく見守っている、
そんな大人たちに囲まれていることに気づきます。

私は、この距離感が動画全体の幸福感につながっているのではないかと感じるのです。
見ていてとてもあたたかいもので満たされる感じ。

赤ちゃんひょっとこは守られてはいる。でも、ひとりの踊り手でもある。

その扱われ方があるからこそ、見る側も安心して笑顔になれるのだと思います。
いいですね、こういう関係というか距離感がなんとも言えずGOODです。

日本の伝統文化が「生きている」と分かる瞬間

ここまで妄想してると、この動画が単なる「かわいい子どもの動画」ではない
別の理由が見えてくるように思い始めました。

大人たちが続けてきた祭りや踊りの中に、小さな子どもが自然に入り込んでいる。
それは結果として、文化が次の世代へ継承されていく場面にも見えるのです。

もちろん、この一場面だけで「文化継承」を語るのは大げさです。

ただ、伝統というものは、資料や保存だけで残るのではなく、
こうして誰かが面白がり、真似をし、いつの間にか輪の中に入っていくことで続いていく、
そういったものかもしれない。

そう考えると、周囲の観客が笑顔になっている理由も少し違って見えてきます。

単に小さな子を愛でているだけではなく、
「この場がこれからも続いていきそうだ」
という、言葉にならない安心感まで受け取っているのではないでしょうか。

この動画でわかるのは、京都の名物でもあって外国人にも大変な人気。

海外から来た観客がスマートフォンを向け、
オーマイゴッド!
Cute!
と驚いた様子で見ています。

キツネのお面、小さな身体、日本の祭り、大人たちのひょっとこ面。
そして音楽に合わせて踊る姿。
これらは、長い説明がなくても一目で自分たちの文化にはなくても、
「何かとても面白いことが起きている」と伝わります。

言葉を理解できなくても、赤ちゃんひょっとこの出現は、国を選ばず、驚きとかわいらしさ、
それと日本独特の文化の奥深さという印象を与えたのだとわかります。

改めて考えると、この赤ちゃんキツネ、赤ちゃんひょっとこ動画の魅力は、
ひとつの理由では説明しきれません。

幼いのに踊りがうまいし、
アンバランスな大きさのキツネお面をつけ、
大人たちの中で一人だけ圧倒的に小さい。
それでも同じ踊り手として成立している。
そして周囲の大人たちが、その存在を自然に受け入れている。
観衆はこれら全部を驚きと感激を感じ、やさしく見守っている。

このいくつもの要素が重なった結果、ただ「かわいい」で終わらず、
少し不思議で、少し神秘的で何となく幸せな映像になっているのではないでしょうか。

最初にこの動画を見たとき、私は「かわいいし、この子、すごいな」と思いました。
ところが何度か見返したあとに残ったのは、踊りの上手さだけではありませんでした。

大人たちの中に突然現れた、小さなキツネ。

その光景自体に、見る側が勝手に物語を感じてしまう
だから、もう一度見たくなるのだと思いました。

※本記事は、公開されているYouTube動画を視聴した筆者個人の考察です。
出演者の意図や背景を断定するものではありません。